【感想】ミッドサマー毎日観たい


こんにちは。グランド肉片だ。

今回は映画・ミッドサマーの感想をとりあえず書く。何せこの後成長した教え子たち(なんの比喩でもない、マジ)と再会する予定があり、つまりこの感情をしたためるタイミングは今しかない。スピード勝負である。


メヴレヴィー教団をご存知だろうか。

彼らは長いスカートを履いてくるくる回る宗教行為で知られているイスラム神秘主義の一派である。

高校生の頃歴史だか地理だかで彼らを知り、面白いと思って自分でも長いスカートでくるくる回ってみたことがある。

当たり前だが目を回してぶっ倒れた。汗を浮かべ肩で息をし、おぼつかない頭で起き上がる。その時、しかし微かな快感を覚えたことを今でも思い出せる。

その時、高校生わたしは「宗教行為も、スポーツも、あるいは自分の絵を描く行為も、一種のトランスを目指しているのか」と思ったのである。

ミッドサマーで踊る少女たちのスカートが美しくひるがえる様を見ながらわたしはその時のことを思い出していた。


「ミッドサマーは癒し映画」という触れ込みを、映画ジャンキーかはたまたサイコパス気取りか、あるいはそのものの感想かよと受け取っていたが、大いに反省している。本当に癒し映画だった。

ミッドサマーは私をトランスの世界に連れていってくれた。

ホルガに来る前の主人公ダニーは痛々しいほど孤独で、家族にも彼氏にも深層で突き放されている。抱えたいたみをコントロール出来ず、抗不安薬に頼ったり、それでもはみ出した分を彼氏にぶつけたり。とっくに冷えきったものを断ち切れずに絡まりの中で身体をささえていた。

ホルガは、小さく閉鎖的であるが故に自他の境界の薄い世界である。家族が共に食べ、笑い、そればかりかセックス(繁殖)も家族が見守り、感じ合い、また慟哭したり、死の苦しみをも共有する。そうして生のサイクルを保全する。

無論こんな状態は現実にマジで味わいたいかといえばグロテスクで泣いちゃうと思うし、それを除いても現実的とは言えない。

しかし映画の上映時間だけ、ミッドサマーはゆっくり丁寧に「防衛」をとき剥がして私をその世界へ連れて行って、カタルシスを与えてくれた。身体が自然と同調し、風と草木のざわめき、脈拍と呼吸がひとつになる。全てがあるようになる。2時間18分のセラピーの映画だった。


ミッドサマーをこれから見たいけど不安という人には、ぜひ上映時間の間だけ、トランスの感覚に身を任せることをオススメしたい。正気の人間にだけ恐怖は襲い来る、そんな映画である。