原作とか公式との付き合い方の話
こんにちは。(グラ)ンド(肉片)だ。
最近あちらこちらでチラホラと、原作とか公式とかについて悩むオタクを見かけたので、私も自分の思うところを言いたくなってブログを書いた。
結論から先に言うと、もっと気楽にオタクしよ!という話だ。
オタクは恐らくだけど全体的に真面目な人間の集まりだ。だって何かに真摯にならなきゃオタクではない。大凡のオタクが、自分の愛する作品やキャラやその関係性に真剣に向き合って、その結果気が狂ったり体調を崩したりしている生き物だと思う。
だから時に悩む。アニメの描写が気に入らなかったり、公式二次創作が受け入れられなかったり、もっと悲劇だと原作と解釈違いになる。
オタクにとって愛するコンテンツの原作者及び公式は、ときに神様のように絶対的なものに感じられてしまう。ので、それが受け入れられない自分は神に背く異端のように思えてくる。あるいは異端となった他人を罰さなければと思えてしまう人もいるかもしれない。
あくまで、私の気楽に生きるための心構えの話になるが、私は公式にも原作者にも基本的に期待はすれど心のどこかに「でも言うて人間だから何するかわからへんな」という諦めの窪地をつくっている。
もちろん全てに一貫性を持たせることの出来る原作者や制作組織は非常に素晴らしいが、故に得がたいものだ。原作者はいつまでも同じ人間ではないので、いずれは「自分の作った設定や物語を元にした二次創作」を作る1番権威ある人間にならざるを得ない。
そこでもし過去の作品との解釈違いを起こすことがあったとしても、それは二次創作なのでありえないことでは全然ないのである。
制作陣が組織だったり、あるいは公式二次創作が存在している場合はもっとこのパターンが多くなるのは言うまでもないだろう。だから、そこに生じる解釈違いは全然無理に飲み込まなくていいと考えている。
とはいえ、その解釈違いを味わった側は傷つくし、時には作品そのものを嫌いになってしまうこともある。
これも私の心構えの話だが、そういう時は作品と自分との関係をもっと大切にしてみることをおすすめしたい。
再三言うが、「許せないものを飲み込んで作品を愛せ」というつもりは全くない。むしろ逆だ。
自分の好きだった作品と自分の関係を、1対1になって愛してほしいと私は思っている。
作品は、媒体としては1つのものとして存在していても、読む人間が心に取り込むのはそれぞれ違ったものになる。自分が読んだ「作品」は、誰も(作者さえも)介在しない別のものになる。(この「作品」は作品全体という規模に限らない。1章でも1話でも、なんならセリフの1言でもあてはまる)
もちろん、他人の感想を読むことで他人を「作品」と自分の相関図の中に書き加えることは可能だ。でも、やはり「自分の読んだ作品」と自分の関係は「第一」であり、そこから受け取ったものは今後どんな続編や二次創作が来たり、原作者がインタビューで裏話をしたり、あるいは仲間内で自分とは違う解釈が流行しても永遠で、誰にも壊したり汚したり奪ったりすることが出来るものではない。
自分だけの宝物なのだ。
でかい主語を使うが、オタクにとってこの宝物を大切に抱いていることは、原作者を信仰したり界隈の様子を伺ったりすることよりも余程大事なのではないかと私は思う。
その宝物が大事にできそうになくなってしまった時、私は具体的には作品や界隈と距離を置く。誰ともその話をしないし、ワードミュートやブロックを使う。自分の宝物のためにそういった手段に出ることを許してくれる人を信頼できるオタクと呼ぶのではないかと、最近はそんなことを考えている。