「劇場版主人公」という傀儡-劇場版サイコパスSS01感想
こんにちは。グランド肉片です。
この記事は、アニメPSYCHO-PASSシリーズ及び劇場版サイコパスSS01について無遠慮なネタバレが含まれます。
お気をつけください。
……自分がまさか、映画の感想お気持ちブログを書くことになるとは、という気分である。
でも、こんなの文章にしなきゃあまりにやってられなかった。
最初に言うと、この記事は全体的に私の新劇場版に対するネガティブな気持ちによって書かれているので、そういったものに触れたくない方にはブラウザバックを推奨する。
それでも読むつもりで来た方には、今しばらくお付き合いいただきたい。
PSYCHO-PASSシリーズ未履修の方に説明すると、PSYCHO-PASSシリーズは、近未来日本で「シビュラシステム」により人間が機械的に判断され、管理されるようになった社会を描くSFである。
人間の悪性(犯罪係数)までもがシステムに管理された世界で、公安局に所属するキャラクター達が目指すべき未来を模索し、奮闘する非常に見応えのある作品だ。
PSYCHO-PASSは2期3クール分のTVアニメと、旧劇場版、そして今回新作となる新劇場版(3部作)で構成されており、
今回の映画「SS01 罪と罰(以下「罪と罰」)」はその第1弾だった。
今回の新劇場版は、TVシリーズの主人公・常守朱に代わり、その脇を飾っていたキャラクターにスポットを当てた作品になっている。
「罪と罰」の主人公の1人は、TVシリーズ2期からレギュラー入りした霜月美佳である。
彼女は、端的に言って生意気な新人である。
霜月はエリートで、弱冠18歳にして公安局刑事課1係に配属された。
ズケズケとものを言い、遠慮がなく、先輩の常守朱にすぐつっかかる。悪態もつく。
さらには、終盤では取り返しのつかない悪事に手を貸してしまい、視聴者の間でもかなり不況を買っていた。ように思う。
しかし、彼女はあの世界のいわば「普通の人」だったのだ。
人並みに正義感があり、直感力があり、しかし常守朱ほど強くなれない。
精神に、シビュラシステムへの畏怖と依存が染み付いている。
シビュラシステムとあくまで対峙する姿勢を崩さない常守朱に対し、霜月美佳は2期ラストで、シビュラシステムの巨大さに屈し、奴隷となることを誓ってしまう。
私は、そんな霜月美佳が大好きだった。
エリートとして信頼されながらも、脆さを内包した彼女がとても愛おしく、キャラクターとして刺さったのだった。
だから、そんな彼女が新劇場版「罪と罰」の主役を張ると聞いて驚き、またとても嬉しかった。
旧劇場版にも霜月は登場したが、メインが常守朱と狡噛慎也だったので、深く描かれることは無かったのだ。
ようやく、私は彼女の物語を見ることが出来る。
その期待で、胸がいっぱいだった。
……映画が終わって、しばらく、ショックを受け止めきれなかった。
「罪と罰」は2期から3年後の時間軸で、登場人物は皆、著しく成長していた。
特に霜月美佳だ。
「罪と罰」の霜月美佳には、2期ラストで見せた、シビュラシステムへの恐れや、服従の精神が全くなかった。
シビュラシステムの構成員に平手打ちまでしてた。
吹っ切れていた。
(追記)……
シビュラシステムの完璧さを信奉する描写は確かにあったが、それは恐れではなく、管理者としての自負のようなものに変わっていたと感じる。
そして、その自負の強さを獲得する物語は、描かれていない。
……
3年とは、人間が変わるにはもちろん充分な時間だ。
それはわかる。
でも物語のキャラクターである以上、その変化は描写されなければ、見せてもらわなければ伝わらないし、無いのと同じなのだ。
私は、常守朱のようにシビュラシステムに真っ向から対峙出来ない霜月美佳が、
それでも「ただシビュラシステムに呑み込まれるだけ」という状況を良しとしない闘志を手に入れる物語だと思っていた。
いや、確実に空白の3年間にそれはあったのだと思う。
でなきゃ、あの「罪と罰」の霜月美佳にはならない。
なのに、その過程はすっ飛ばされて、ただ結果だけがそこにあった。
彼女はかっこつけて、でも曇りのない瞳で「正義の味方」を名乗る。
完全に置いていかれた。
Twitterでも言ったが、Fate/stay nightで例えるなら、物語中盤でいきなり間桐慎二が改心し、桜を攻撃した相手に向かって「僕の妹に手を出すな!」なんて言い出したような。
そんな気分だった。
あの霜月美佳は、2期の悪評を塗り替えるだろう。
爽やかなパワーに溢れた、ちょっと生意気だけど熱血で可愛い女だった。
でも私には、あの霜月美佳が、「劇場版の主人公」というポジションのための傀儡にしか思えない。
かっこいい活躍をさせるために、抱えたネガティブな部分を取り外し、みんなに好かれるように、かっこよく都合よくカスタマイズされた人形だ。
いつまでも彼女に弱くあって欲しかったわけじゃない。
でも、過程をすっ飛ばした強さを見せつけられては、私の好きだった彼女はもうどこにもいないのではないかと思わずには居られないのだ。
もしかしたらこの後3期の発表があって、そこで霜月美佳の「成長」は描かれるのかもしれない。
でも、その「成長」を知らずに、手放しで楽しむことは私には出来なかった。
願わくば、「3期」を見た後に、もう一度この劇場版を見直して、「成長したね、霜月」なんて微笑むことが出来たらいい。
心の底から、そう願っている。
ゼロの執行人と正義とか星とかロマン
こんにちは。グランド肉片です。
君はもう『劇場版名探偵コナン ゼロの執行人』を観たか。
見てないなら今すぐ映画館に走って、それからこのブログに戻ってきてほしい。
私もさっき見てきた。
そしてその感情の任せるまま今から感想を書こうと思う。
いくぜ
いやえっっっっっっっっぐいことするな!?!?!?!?!?!
見終わって最初の感想がそれだった。
もう赤井と安室の女たちの間では100万回言われていることだと思うから、今更こんな外野が言及することもないと思うけど、今回の劇場版の日下部さんと羽場さんと公安の立ち位置で、バーボンとスコッチとライを連想するなという方が無理だろう。
降谷にバーボンを断罪させているようなものじゃないか…うわえっぐ…
でも、その構造を踏まえるとこれは降谷、そして安室にとってのゼロ=初心にかえる物語だったのかな、とも思いました。事件を受けて、降谷は別に何かを反省するとか、改めるということをするわけじゃなくて、自分たちの正義が背負う重みを(皮肉な形でありながら)再認識する物語というか…うまく言えないけれど、そんな見方もあるんじゃないかな、と思います。
正義に力を与えるものはロマンだ、というメッセージが暗くなりやすいテーマにある種のさわやかさというか、前向きさを与えているのがとてもいいな、と思いました。阿笠博士が冒頭で、事件解決の鍵となるドローンを「男のロマン」と語り、少年探偵団は宇宙へのロマンを胸に平気で大事をやってのけ、降谷にコ蘭に向かって愛だねえなんて言わせちゃって、最後は「僕の恋人はこの国だ」だもんな…映画を見てから主題歌を聞くと、情熱的なトランペットとギターとカスタネットの旋律にも納得がいきます。正統ハードボイルドな感じ。めちゃくちゃ応援歌ですね…
すごく余談なんですけど、フォロワが「日本の土着文化(例えば子守歌とか)を知らない安室」とかいう萌え爆をかましていたことを思い出しまして、コナン君の正体を知った安室さん(まだ知らないよね?)にコナン君が「安室さんて意外と日本のこと知らないよね」って指摘したら「君みたいな幼馴染とラブラブな少年にはわからないかもしれないけど、恋人の知らない面を少しずつ知っていくのもいいものなんですよ」って返してほしいなって思ったりしました。
あと、映画の画面を見て思ったんですけど、降谷零めちゃくちゃお星さまじゃないですか?電話ボックスから風見さんに連絡しているとき、暗闇の中で電話ボックスがぽつんと光っていて、朝が来た瞬間に降谷が安室になるのどどどどどエモでびっくりした……正しさは光だけど、すべてを完璧に照らせるわけではなく、正義は暗闇の中で孤独に光る星のようなものなのかなという気分になります。最大(物理)の敵が流れ星のようなものだったので、星同士の対決というか……白鳥のカプセルと対峙する降谷零ホントよかったな………
今回は降谷零(とコナン君)の物語だったので彼がわかりやすく一等に光ってましたけど、主題歌は「正義はそう/涙の数だけ…」と歌ってくれていて、例えば風見さんも涙を流したことが何度もあるんだろうな、と見ていて思いました。降谷さんが理解できないところ、たくさんあるよね…割と人外だもんね……(人外判定ガバオタク発言)。
降谷零もコナンくんも風見さんたちもそれぞれが星であり、空を見あげれば見える無限の星がエンディングで流れたのすごく良かったです。それと降谷零がコナンくんのことを引力のある星として信頼してて、それを恐ろしい相手と表現するのもとても好きです。
コナン君に盗聴器を仕掛けられたのに気づかなかった風見さんにわざわざ技をキメて(高度なジョーク)盗聴器剝がして潰すの、めちゃくちゃプライドエベレストゴリラムーヴでよかったですね。余談ですけど梓さんに「いいお嫁さんになりますね」とかいう「ソレ今の時代場合によってはセクハラ認定されてもおかしくないねんで?」って感じのセリフを平然と吐くところもエモみがあって好きです。
いろんな正義の涙を押しつぶしたところに降谷零の正義はあって、それは時としてそのために犠牲者を生む。しかし例えば、公安を撥ね付けた橘さんのように、彼の正義でなくては守る対象にならないものもある、というのが実に素敵ですね。正義の多様性につける落としどころとして、いいシーンだったなと思いました。
橘さんめっちゃいいキャラでしたね。公安にぶつけられるクソデカ感情のなかでも一等かっこいい。公安は国を守るので人に目がいかない、というのはわかりやすい弱点だけど、そこに最終的に「過ちであっても私が判断した私の判断を私の判断として尊重しろ丸め込むな」という棘を向けるキャラクターがぶっささるのめっちゃよい……強い……降谷零にはどうか知らないですけど、風見さんの傷には彼女の存在がずっとぶっ刺さってるだろうなと思うと大変いいなと思います。
最後に性癖の話をして終わるんですけど、今回の映画でも降谷さんのバーサク顔が見れてめちゃくちゃ満足です。パワーゴリラが過ぎませんか?FGOやったら絶対バスタークリティカルブレイブチェインを主軸に戦略を練るタイプだと思います。あの顔を見るとやっぱり人外だなって思って興奮しますね。彼と同じ種族ってコナン世界にいるのかよくわからないけど…
結論としてゼロの執行人めちゃくちゃ面白かったです。
製作スタッフの方と勧めてくれたフォロワたちに感謝します。
李新殺ははちゃめちゃに良い
こんにちは。グランド肉片だ。
唐突だがFate/GrandOrderにおける李書文×新宿のアサシン(以下新シン)のカップリングがはちゃめちゃにいいことを語らせてほしい。
すごくいい。
ここは公式での細かい絡みを考察したり、生前の歴史とかそういうものと参照することはあまりしない。すまない。ただ個人の妄想と解釈をつらつら書くだけだ。
でもはちゃめちゃに良いから読んでほしい。お願いします。私の推しカプだから最高だってば。
李書文も新宿のアサシンのことも知っている体で話させてほしい。顔と名前の一致しない方は、TypeMoonWikiなどを参照するとおおよそのキャラクターを掴んでもらえると思う。
あと、少し真名に関わる話はしてしまう。苦手でない方だけ読んでほしい。
私の李新殺妄想は、新シンが李書文に殺されたいと思っているという妄想に端を発している。
話が少し飛ぶが、李書文の最終再臨絵を見たことがあるだろうか?無ければ…たぶん普通のイラストでも大丈夫だ。目に宿る圧倒的な、こう…触れるものならなんでも殺せるオーラっていうか…あ~この人殺人拳使えるんだ~的な…アレを感じてくれたと思う。人を殺す獣の視線だ。
感じた体で話を進める。
李書文の幕間では新シンと李書文が互いに憧れを抱くライバルであり、カルデアの手合わせ仲間であるということが発覚したが(マジで発狂した)、私は…新シンが手合わせ中にあの瞳に射抜かれたらいいな…とそう思うのである。
否が応でも死を予感する視線。ああこの人に殺されてしまう、というときめきに似た絶望。絶望に似たときめき。
これだ。ここを掘り下げる。
このときめきと絶望は、新シンのキャラクター性にちゃんと根があると腐女子は妄想する。
彼は認めた主人に献身的な男だ。
しかも生前(?)の経験から、危険を冒す主に諫言することに彼の忠義のウェイトが置かれている。
たまの未成年飲酒くらいしたって別にいいけど、火に自ら飛び込むような真似は絶対にさせない男だ。ハロイベの新シン超かっこよかったよね。
これは、限定的に変形した管理欲求(義務感)と言っても差し支えないだろう。ここで腐女子は思う。
裏返しで被管理願望があってもいいんじゃないか?
つまりSGってやつだよ
(強気な文調で書いたが、違うかもしれない。ちょっと怖い)
主を管理しなくては、目の届く安心の範囲に居させなくては。その感情の裏側に自分も誰かに属したい、支配されたい、という欲求がある。この妄想が一つの主軸だ。
そしてもうひとつの軸は、生前(?)彼が父替わりの男盧俊義にずっと仕えていた、というポイントにある。ざっくり言うと、自分の父親くらいの年齢の男、父親っぽいポジションの男に弱くねぇかな~?!という(私の)願望だ。
FGOに実装されている李書文は若い姿だが、精神的にも比較的老成しているし(おちゃめな時もあるけど)(かわいいね)、新シンと並べればそれなりの歳の差を感じるだろう。
もし新シンが武芸を李書文に褒められようものなら、父に褒められた息子のような嬉し恥ずかしさを感じること請け合いだ。
さて、二つの軸を重ね、ここに李書文の人を殺す視線が加わるとどうなるか。
自分の父(=自分を生み育てる者)のごとき男に殺されるという究極の管理を味わうことになる。
この人が俺を殺してくれる。
絶望。裏返しに滲み出るときめき。
身動きの取れない感情につらぬかれる。
それを味わいたくて殺し合いに溺れたら、それはもはやセックスではないだろうか?
あわよくば、さらに臨死体験ならぬ臨殺され体験を求めて実際にセックスに至ると考えるのは無茶だろうか?
決して無茶ではない。
決して無茶ではないはずだ。
新シン側の掘り下げばかりしてしまったが、李書文は李書文で新シンに魅力を感じる理由がやまほどある。
そもそも新シンは同郷(ワールドワイド表現)の伝説の武芸人だ。平たく言えば憧れのスタァである。李書文幕間からもこの様子は容易に読み取れる。
そんな憧れのスタァが、自分をライバルと認め、軽口を叩き、しかも歌やら踊りやら、パリピめいた趣味に誘ってくる。
尊敬していた人物が案外気さくだった、を飛び越えて、若いなぁって思うレベルだろう。
しかも私の妄想の中では、李書文が新シン武芸の腕を褒めると、そうだろう!とドヤ顔しつつ、父に褒められた息子のような照れ顔が隠しきれていない。かわいい。
李書文が生前身内に優しいおじいちゃんだったという記述をWikipediaで読んだ気がするので図々しく設定を借りるが、つまるところ李書文も新シンをかわいいって思えばよくないか?実際可愛いから本当に問題ないと思う。かわいいな?
私はどちらかと言うと
李書文→←←←新殺
くらいの関係が好きなので、李書文に抱かれたいと思って誘いをかけるも李書文が全く勘づいてくれずセックスに漕ぎ着けず、それを酔った席で赤裸々に愚痴って荊軻に爆笑されるみたいな妄想が好きである。
「あの先生にそこまで性欲を期待するのは難しいんじゃないか?」
「そんなことねぇよぉ~多分…いや…うん…」
みたいな会話をしてほしい。
煮詰まった新シンがどうにかこうにか李書文とセックスに漕ぎ着けたら、あんな飄々とした風貌から想像出来ないほど獣じみて激しかったら最高じゃないか。
背が低くてがっしりした筋肉でえげつない腹筋の李書文、しっかり筋肉はあるがなだらかに美しく身についている新シン、絵面もめちゃくちゃいい。
個人的には刺青の龍の喉笛とかに噛み付いて欲しいんだ…んで終わったあと律儀に手当をしてほしい。
サーヴァントだからこんなの意味無いのに、と思いながら新シンは手当されるがままで、貼られた絆創膏を隠すためにクイックパーカーとか着ればいいんじゃないか?
髪も解いて過ごすといいと思う。
そんなところだ。
李新殺についてはほぼスケベなことしか考えていない。申し訳ない。
今後も何かあったらまた記事を書くと思う。
李新殺はいいぞ。みんな描いてくれ。私も描く。
グランド肉片
ユーリ!!! on ICEはBLか?
先日、勇利とヴィクトルのキスについてつらつら語ったら思いがけずたくさんの方から反応をいただいてしどろもどろしました。 私はあくまで1人気アニメで男性同士のキスシーンが描かれた、というガワの話をしていたのですが、何故かユーリ!!! on ICEそのものに対する深い考察だと言ってくださる方もいて、マジかよ…行間を読む力高過ぎるだろう…と恐れおののき、ハーブティーを淹れ、布団で安眠するなどしていました。 閲覧大変ありがとうございました。